概   要
 
大田原赤十字病院と放射線科


Le Fort 骨折

 救急疾患が多いことが当院の特徴であり一応、3次救急救命センターとなっている。しかし、2005年春までに内科医(消化器、腎臓、糖尿病など)・小児科医の大幅な派遣引き上げが行われたため、2005年5月現在、来院者数が著明に減少している。但し、そのなかには1次医療が多く含まれており、地域支援型病院としての役割を果たすためには2-3次医療に専心する体制への変換の好機が来たと言うべきであろう。


頚椎損傷

 放射線科は1982年にA館が建設されるときに現在の原型が整備され、放射線治療を専門とする放射線科医が東京慈恵会医科大学より派遣された。慈恵からの医師派遣は2001年春に事実上中止されたが放射線科部長と非常勤の放射線治療医2名は名目上、慈恵からの派遣となっている。それ以外のスタッフはすべて全国公募で集まっている。


気腫性腎盂腎炎

 General Radiologyを旨とし、救急とInterventional Radiology (IVR) に力を入れているのが特徴であり毎年、日本放射線科専門医会・医会の「救急放射線実地研修」(1週間)を行っている。診療内容については診療実績をご覧いただきたい。




カンファレンス 


放射線科の歴史
私の行ってきた放射線科運営と独立採算の考え方
大田原赤十字病院放射線科部長
水沼仁孝
1.赴任当時
 大田原赤十字病院に初めて専任の放射線科医が赴任したのは昭和54年で,専門が放射線治療であったため,昭和57年 4 月に新築になった外来棟 1 階の放射線科は一般撮影,X-TV,血管撮影などと共に放射線治療装置,治療計画室および工作室,診察室,小線源治療室など治療関係を中心に建てられていました。当時,小線源治療を行える施設としては北関東で唯一だったそうです。CTはその直後の10月に東芝製TCT80Aが導入されましたが,新棟設計時に導入の計画がなかったため,それは放射線科から離れた新棟と旧棟との間のプレハブ内に設置されました。このとき,診断医の席が増え,昭和63年 1 月に私が赴任したときは 2 人体制になっていました。放射線治療をメインにしていたため,放射線科の入院患者がおり,さらに小線源治療病室も毎週入院がある状態で,診断の仕事はCTの読影と時々依頼される血管造影,そして週 1 回の消化管造影でした。私の下につくことになった 4 年目の放射線科医も治療医希望でした。眠れない内科小児科当直が月 2 回ずつありましたが,放射線科医のオンコールが強化された平成 4 年になくなりました。
 CTは 1 スキャン 9 秒でさらに演算時間を必要とし,ハードデイスク容量は330スライス相当と少なく,途中で容量一杯になるとdeleteに40分かかって検査が出来なくなるため,私の赴任 1 年目の仕事はこの330スライスをどのように日勤帯で割り振ってより多くの患者さんの検査をこなすかにありました。スループットは悪く,外来検査待ちは 2 週間を超えていました。見落としがなく,且つ無駄なスキャンをしないようにプロトコールを組んで努力しても 1 年間で増加した件数は約 1 割でした。外科カンファレンスに赴任早々から参加したこと,読影はなるべくリアルタイムで行う方針をとったことがCTの需要を喚起したため,検査待ち時間は少しも短縮できませんでした。そこで私はこの数字の経緯を副院長に見せたところ,新機種導入の同意が得られ,平成元年 5 月には新しいCTを購入してもらえるようになりました。これが私にとって大田原赤十字病院放射線科を改革する大きなきっかけとなりました。

2.改革のきっかけ-CT購入
1)伝票
 私の考える放射線科を作っていきたいと意気込んでみても,その時いた治療希望のレジデントはブレーキになることが多く,一緒に働くレジデントの教育をなんとかしなくてはと悩む毎日でした。平成元年 4 月に交代でくるレジデントには最初から厳しく鍛えることに決めていました。常に一緒に読影することが大田原でできる唯一の教育と考え,まず読影関係の整備を計画しました。読影の機会を増やさねば読影力も養えませんし,院内の状態も把握できません。同じ時期に医事関係でエンボスシステム導入を計画していたのに合わせ,一般撮影,CT,RIなど数種類に分かれていた伝票を一般撮影と特殊検査の 2 種類に絞り,特殊検査(造影検査,CT,RI,血管造影,断層撮影など一般撮影でないものすべてと乳房X線撮影)は報告書付(会計・薬剤・レポート・控え・予約票の 5 枚綴り)で必ず,放射線医の読影を行うというシステムにしました。これで一般撮影以外すべての画像診断を読影する体制が整いました。

2)ターミナルディジット方式によるファイル法
 大田原赤十字病院には中央ファイルルームがなく,各科外来でフィルム管理を行っていました。その整理の仕方は各科バラバラで,そこの外来の主のような看護婦さんがいなければ,フィルムは出てこないようになっていました。読影には前回フィルムとの比較が必要です。そこで外来ナースを対象にターミナルディジット方式でのファイル法の勉強会を開き,平成2年4月より一斉に各科外来のフィルム保存はターミナルディジット方式に変更しました。誰でも簡単にフィルムが出せるようになり,看護部では好評を博しました。以後,私の色々な改革案は看護部の全面的な支持を得て行うことができるようになりました。
 現在,前回フィルムは患者さんがフォローアップのための検査を予約するときに外来ナースから渡されて放射線科の予約受付を訪れフィルムを渡すようになっています。

3)CT仕様
 当時,日赤本社の副社長は東芝の土光会長であったこと,大田原赤十字病院は東芝と関係の深い慶應義塾大学の関連病院であったため,購入できる製品は東芝製に限られていました。さらに日赤の中では 2 流ランクとなっていたため,CTも東芝の 2 番目のランクのものしか購入できない運命でした。TCT-700SというそのCTを慈恵医大青戸病院に見に行って画質の悪さ,画像処理に手間取ることにあきれて帰り,そのことを副院長に報告したところ,多少金額が増えても構わないからその機械でよくなるようにしてくださいとの言葉をいただき,つぎのようなことを行いました。
 東芝推奨のスキャン時間は2.7秒でしたが,これではゼノンガス検出器のCTでよい濃度分解能を発揮するために必要な500MASを得られないため,実験を行って標準スキャン時間を 4 秒(腹部560 MAS,頭部440MAS)としました。4 秒としたことで過負荷による管球のヒートアップを避けるため,管球を標準の180万HUから200万HU容量のものに替え,ヒートアップしないスキャン-スキャンインターバルを実測したところ28秒となり,それを基に撮影部位毎のスライス数,患者さんの出し入れ,造影時間とその頻度を勘案して予約枠(頭部:10分,体部:1 領域15分)を設定しました。因みにこのCT画像はTCT-700Sのデモンストレーション用としてRSNA,JMCPに出展されました。
 スループットを向上させるため,画像は本体コンソールから独立コンソール(CPU内臓)へ自動転送させ,画像はそこから当時新登場のレーザーイメージャーに自動撮像させるようにしました。つまり,本体は画像収集のみ,独立コンソールはフィルミングのみを自動化して行うというものです。また,レーザーイメージャが自動現像機一体型であるため,明室化され且つ技師が直接マルチカメラのようにフィルムを流す手間がないこともスループットの向上に役立ちました。レーザーイメージャは何枚でも同じフィルムが焼けるため,院外からの依頼にも迅速に対応できるようになり,患者さんは待たされずにCTフィルムと報告書を持って帰れるようになりました。

4)オートアルタネータ購入
 CTの購入に合わせ,オートアルタネータ(半切 4 枚掛け26フレームが入るライトボックス)も購入しました。この裏側にレーザーイメージャを置き,CT担当技師がフィルム確認の目的で前回フィルムと合わせてオートアルタネータに貼り,袋と伝票(報告書付)を順に重ねて置いておくようにしてもらいました。読影はレジデントと二人で同じ症例を見,正常所見や定型文ですむ報告書はその場で電子タイプライタを使って流し,有所見例はレジデントがメモをとって後でもう一度見直してレポートを作成するという形にしました。教育を兼ねた読影がこうして短時間で行えるようになりました。

5)読影室
 工事期間中もCTを止めたくないということで新しいCT室は別のところに設置するよう院長から求められました。使用頻度の低かった新棟 2 階のX-TVの部屋をそれにあてることにし,それに合わせ,読影室も移動することにしました。外来部門・病棟・手術室との中間にもってきたため臨床各科の医師の来訪が増え,意思の疎通が図りやすくなったり,外来と病棟の患者さんが交錯しなくなったりというよい面も生まれました。増えてきた放射線科依頼をコントロールするため予約受付を読影室に近接して設置し,事務職を配置しました。これによりCT担当技師が一人で行っていたカルテへの記載,患者受け付け,袋の作成などを事務職に移管し,画像撮影に集中できるようになりました。ちなみに 1 日の撮影スキャン数は平均600スライスとなりました。

6)事務関係の改革
 放射線科の受付事務は 1 階に置かれ,一般撮影の受付,ラベルの作成,フィルム集配の管理と日報作成が仕事の大半であり,とくにフィルム受け渡し台帳の記入とフィルムの問い合わせの電話応対が業務の 8 割を占めていました。そのため,技師はそれぞれの部門でフィルム袋作成,カルテへの記載などを行わざるを得ず,技師の仕事を撮影に集中できない状態になっていました。そこで一々各外来・病棟毎に台帳を作成していたのを止めさせ,フィルムは照射録と共に各外来病棟毎に分けられた集配棚の籠に入れ,持って行くときに照射録にサインをさせるようにしました。フィルム集配に関する電話での問い合わせは受け付けないことにし,伝票のサインを各自確認に来るようにさせたため,事務職は台帳書きと電話による問い合わせの応対から開放されました。さらにエンボスカードを利用してフィルムおよび袋のラベル作成を行うようにしたことで手書きのラベル作成からも開放されました。日報作成にはCT購入に合わせてパソコンを入れ,手計算をしなくともよくなりました。これらにより 1 階受付は一般撮影の受付とフィルム集配の管理,1 階検査分のカルテ記入,2 階受付は予約と 2 階検査当日分の受付とカルテ記入と役目を分け,それぞれに事務職を配置できるようになりました。
 検査のプロトコールを事前に決めておくことで放射線科医と技師の時間をセーブするため,予約台帳を前日午前中にコピーして医事課に送りカルテを出してもらい,午後に放射線科医がカルテと依頼内容を確かめながらプロトコールを記載,その後,事務は検査項目を予め書き入れ,翌日の事務量を軽減できるようにしました。予約外来と同じシステムであり,患者さんは病院受付を通らずに直接放射線科受付に検査予定時刻の15分前に来れば良いようになりました。

7)超音波装置
 CT購入のなかに超音波装置も入れてもらい,乳癌のスクリーニングを始めました。マンモグラフィと同時に施行,両者を合わせて放射線科医が読影するのです。平成元年は230例程でありましたが平成10年には1,200例となり,乳癌は67例発見されています。乳癌はスクリーニング(MMG,超音波)から治療・再発予防(手術・放射線治療・画像診断による再発チェック)まで一貫して行うシステムを作っておけば,女性のくちこみで受診者はどんどん増えてゆきます。こうして発見した乳癌症例は外科の予定手術スケジュールを埋めてくれ,さらにフォローアップが病院の経済を支えてくれます。

8)不正購入の疑いを晴らしたのは保険点数稼働額,そしてMR購入
 CT購入に関する総費用は工事費・消費税を含め,約 1 億円となり,TCT700Sの市場価格6,500万円を多く上回っていたため,日赤本社から不正購入の疑いをもたれ購入半年後,査察が入りました。TCT700S単体の処理能力はせいぜい15件/日であるのに対し,大田原では25件/日の稼働があり,月間の保険点数稼働額も1,230万円と最高機種を導入している他の日赤病院の平均稼働額(800~900万円/月)を上回っていたため,不問にふされました。ランニングコストは平均750万円/月であり,2 年で償却が済む計算となりました。この試算が基になり,MRの購入話が持ち上がりました。また,お仕着せで東芝製MRでしたが院長がMR棟用地買収と建物建設費用を含め,3 億円近くの予算をとってくれたので平成 2 年10月,1.5Tの東芝製MRによる診療を開始しました。MR導入により放射線科医は計 3 人となりました。MRの稼働額は580万円/月とランニングコストを払うだけで終わり,償却費用までは至りませんでしたが,平成 9 年 6 月にバージョンアップして1,000万円/月に稼働が上がり,バージョンアップ費用を数ヶ月で払い終え,現在は本体価格を払い終えた段階で,あと 3 年あれば建物建設費と土地の買収費用が償却される計算になりました。

9)条件なしの増員
 平成 3 年秋,突然,院長より放射線科医の増員をして良いという話がありました。画像診断を放射線科医が行うことにより大田原赤十字病院全体が良くなってきていると感じてくれた当時の副院長(現院長)が,仕事量が飛躍的に増加していることを考慮し院長に進言してくれたためのようで,有り難いことでした。なんの条件も無しに増員OKということでしたので平成 4 年 1 月,常勤放射線科診断医 4 人,非常勤放射線治療医 2 名という体制になりました。
 平成 5 年 6 月,私は大田原を離れたのですが,その時点で放射線関係機器に関する次期整備計画を提出していました。平成 8 年 4 月,再び大田原赤十字病院に勤務するようになりましたが,そのときにはその計画書に沿ってヘリカルCT,IVR専用DSA装置(超音波装置付),高性能マンモグラフィ,ポータブルDSA,RIシンチカメラなどが購入されており,大学より良い装置が揃っているのを見て私は小躍りして喜んだものです。残していった整備計画が私がいなくなってもそのまま進められたのは,在任中,色々なことを計画する際に必ず今までの放射線科のバランスシートを出しその計画の必要性を説いて回ったことが信用につながったと新しく副院長になった外科部長にほのめかされました。
 バランスシートについては最後に述べたいと思います。

3.救急医療へのかかわり
 赴任して間もない昭和60年春のある月曜日の朝,私は週末の救急症例未読影分のなかに後腹膜出血の症例を見つけました。フィルムには金曜日夜の日時がありましたが,土曜朝に私はそれを見た覚えがありませんでした。そこで外科に連絡をとったところ,交通外傷で金曜日夜運ばれ,外科のレジデントのオーダーで腹部CTが撮られ,翌日の午後開腹,次の日曜日朝に死亡したとのことでした。腹腔内出血はまるっきりなく,かえって開腹によりタンポナーデが解除され頓死するケースで,手術適応はなく,腰動脈の塞栓療法が適応となるものでした。
 外科のレジデントを呼び,土曜日朝,読影に回していさえすれば,開腹の適応がなかったこと,そして塞栓療法が施行でき,救命できる可能性があったことを伝えましたが,放射線科医に手術適応云々を言われる筋合いではないと反論したので「CTを読影できないのならCTを撮るのはやめろ,この症例は腹腔内には出血がなく,手術適応はなかったはずで上司にはその情報を伝えたのか,裁判になれば,お前は必ず負けるぞ」と言ったところ,確かに開腹と同時に血圧が下がり,腹腔内出血はなく単開腹で終わったと告白,おまけに外科部長には腹腔内出血と伝えて開腹の許可をとったとも付け加えました。「お前は外科のレジデントだからCTを読影できないのはしょうがない。しかし,院内のルールに従って翌朝,読影に回していれば,手術適応でないことは明らかとなったはずである。自分が手術したいので上司に誤った情報を伝えて許可を取ったことはやってはいけない過ちである」と述べたところ本人もそれを認めました。
 この日以来,大田原日赤では首から下のCTを緊急で撮る場合には放射線科医を呼ぶ体制になりました。脳CTに関しては脳外科がオンコールに応ずるということ約束になりましたが,詳しくは後述します。

4.読影とレポート
 医療は患者さんの病気をなるべく早く,痛くなく,そして安く治すことを目標としています。診断情報は治療手段をいち早く決めるために行うのですから,診断情報はリアルタイムで伝えることが大切で,救急では特に重要となります。診断情報(画像も報告書も)を生鮮食品と考えれば簡単です。依頼元への送達が遅れれば遅れるほどその価値は下落します。診断情報をなるべく早く依頼元へ送るために大田原日赤では次のようにしています。

1)フィルムと報告書は一緒に送達
 急患・院外依頼症例・当日外来受診症例はその場で読影し報告書を作成しています。決して日勤時間帯にはフィルムだけを先渡しすることはしません。夜間休日の脳を除くCT検査症例はレジデントがオンコールで呼ばれ,第一次報告をカルテかフィルムの袋に記載,翌朝スタッフドクターともう一度見直し,正式報告書を作成します。このとき,前夜に行った報告と大きく異なる内容になった場合には直ちに主治医を探してそれを報告します。
 脳CTに関しては脳外科がオンコールに応ずるということになっていましたが,内科のレジデントが脳外科のレジデントにコンサルトしたものの両者ともくも膜下出血を見落とし,さらに上司への報告を怠ったため,2 日後に再出血した段階で初めて分かった症例があったため,脳CTを含め,平日夜間の検査症例は翌朝08:30までに読影を終了するようにしています。
 午前中の検査は午後の検査の始まる13:30までに読影を終了するようにし,午後の検査分はその日の内に終わるようにしています。そうすれば,午前中分はその日の午後,午後分は翌朝までに依頼元へ届きます。
 急患で可及的な処置・治療が必要と考えられる場合には主治医へ電話連絡します。土日が休みの場合は,くも膜下出血症例が見落とされている場合ゴールデンタイムの48時間を過ぎること,また,土日急患症例の読影が多くなり月曜の仕事開始が遅れるため,日曜夕方に読影をしています。少なくとも年間に 1~2 例のくも膜下出血の見逃しが見つけられます。また,その時点でIVRが必要な症例はすぐ手配し,施行しています。土曜日が半ドンのときは月曜の朝,いつもより早く出てきて土日分の読影を行っています。
 他科の医師がフィルムと報告書は早く届くものだと分かっていれば,フィルム先渡しの求めは非常に少なくなりますし,求めるときは当然報告書がついてくるものと思っています。リアルタイムに読影を進めるには 1)技師さんがこまめにフィルムを整理できる環境を作る,2)読影場所を検査現場に接して設置し,フィルム集配の手間がかからないようにする,3)適宜,読影ができるよう放射線科医のスケジュールは血管造影・IVR,超音波検査など肉体が拘束される検査は読影の溜まらない時間帯の09:00~10:30と13:30~15:00頃に予定を組む,4)検査プロトコールは必ず検査当日までに決めておくことが必要です。
 読影は必ず複数の医師で行うこと。レジデントと一緒でも必ず違った見方をしているので見落としをなくすのに有効です。そして必ずディスカッションをすること。バランスのとれた報告書になりますし,レジデントの教育に役立ちます。
 報告書の記載よりも読影に集中すること。報告書が出来上がれば仕事が終わったことになるので読影と同時に報告書作成をしがちですがこれは読影の集中度を低め,ひいては放射線科医への信頼度を下落させる原因となります。フィルムから目を話さず所見を拾い上げ,それが終わったら診断に入るのです。

2)レポートは麻薬
 報告書の記載は一番重要な病態の記載からはじめます。陰性所見の記載は求められているとき以外はしません。冗長な記載は好まれないので鑑別疾患はなるべく書きません。大概,臨床医は診断(impression)から見ますので結論が分かり易いようなディスプレイにし,次なる検査,治療へのコメントも見易いようにしておきます。文章は略語が多用でき,簡略な文で済むことより体言止めの英語を用いています。大田原では手書きより速くきれいに仕上がり,定型文のメモリーを多く使用できる電子タイプライターを使っています。
 私はレポートは麻薬,放射線科医は麻薬の売人と思っています。初めは放射線科医のレポートなんかいらないと言っていた医者も毎回届くようになれば,ちょっと覗くつもりで読むようになり,そして自分の思ってもみなかった疾患が報告書に記載され,それがたまたま当たっていたりしたら毎度必ず見るようになります。そう麻薬なんか自分は手を出すはずがないと誰もが考えますが一度その気持ち良さに慣れてしまうともうそれなしでは生きてゆけなくなるのと同じです。レポート中毒者になってくれれば,私達の商売はやりやすいことこの上ないのですが,彼らは中毒者ですからいつでもどこでも麻薬(=レポート,放射線科医の診断情報とコンサルト)を要求するようになりますし,ときに麻薬の純度(診断の質)が下がれば売人(放射線科医)に激しい怒りを向け,報復手段に出る場合もあります。従って売人(放射線科医)は純度の高い麻薬(診断情報)を需要に見合う量,常に供給し続けなくてはならなくなるのです。それが続く限り,売人が中毒者(臨床医)に裏切られることはありません。これが放射線科医が勉強し続けなくてはならない強い動機となるのです。

5.基本戦略
 初めての放射線科医として赴任したとき,すべき仕事は一番にCTの読影です。CTはMRと比べ,診療方針をダイナミックにかえてゆきます。従ってCT症例を全例且つリアルタイムで読影することで臨床医に診療方針の転換を促す情報を速やかに伝えられます。臨床医は思ってもいなかった診断名を早く伝えてくれたことで放射線科医に対する信頼感を持ちます。これを繰り返すうちに院内での信頼関係が大きく育まれます。そうなれば,次の段階,IVRや他のモダリティへ手を広げていくことができます。そのとき,病院で誰も手をつけていない,もしくは得意な医者がいない領域から手をつけていけば軋轢は生じません。放射線科のサービスは一度始めたら止めることができなくなりますので新しい領域に手をつけるときには放射線科医・放射線科技師が恒常的に手配できる算段をつけてから開始します。ですからこの段階ではあなたの働きが院内で認められてさらにもう一人の放射線科医(常勤であろうと非常勤であろうと)を雇えるようになっていなくてはなりません。後は同じようにしてサービス規模・人員を拡大してゆきます。
 カンファレンスは 1)自分達の見落としを再チェックする,2)臨床医との連携を深める,3)臨床科の診療方針や新しい治療法を知るためのよい機会ですので,お互いの診療ペースに合わせて開催します。大田原日赤では毎朝08:30~09:00がカンファレンスタイムで月・水が消化器,火が脳ドック(脳外科),木が小児科,金が産婦人科で,火・木の16:00~17:30が外科になっています。

6.IVRについて
 IVRの施行にあたっては,IVRの内容をよく理解しており,患者管理に長けたコメディカルの専門チームを作ること,高額な特定医療材料,高額医療機器などをたびたび用いるためIVRの手技を標準化させ,必要物品を常に絞り込んで管理をすることが重要です。専門チームの育成,手技の標準化,物品管理ができれば,他科の医師がこの領域に入ってくることはできなくなります。
 IVRの適応症例は放射線科医しか拾い出すことができません。従って適応症例を拾い出すには画像診断全例を読影することです。つらいことですが怠ってはいけないことです。大田原日赤では手に負えない症例が入ってくると必ず,放射線科に声がかかり,なにかIVRで助けてくれないかと期待されます。麻酔科でさえ,放射線科でなんとかしてくれれば緊急手術をしなくてすむので緊急手術例については本当に適応があるのか,IVRではどうにもならないのかと確かめに来ます。他科の医師がどの領域のIVRでも放射線科医が施行してくれるものと常に期待を寄せてくれるようになればしめたものです。

7.良い放射線科医は良い病院管理者になる
 画像診断全例を読影することにより病院全体の診療の流れが見えるようになります。自分の病院の強い領域と弱い領域はどこなのか,問題はどんなところにあるのかなど常に把握できるようになります。このようにして育っていく放射線科医は将来病院管理者(院長など)に最適であると私は考えます。
 日本における病院診療が一般化したのは第二次大戦後ですが,そこで働く医師のほとんどは開業していなくなるという前提で運営されてきています。そのため,放射線科医のように定年まで病院で働くことを前提とした医師が病院全体を把握する立場で長く仕事をし,臨床各科の医師と信頼関係を持っていれば,病院管理者として最適な人間となるのは自然なことです。

8.コメデイカルが放射線科のシステムを維持する
 放射線科医を含め医者はいい加減で自分勝手な人間が多いため,放射線科のシステムを良好に保つ妨げになることがしばしばです。コメディカルは患者さんのためになること,自分達の環境が合理化され働きやすくなることであれば,納得して実践してくれます。理不尽な医師の要求にはもっとも敏感に反応します。技師は医療免許資格者として短時間の内にどれだけ多くの画像情報を得ることができるのかが第一の仕事ですから,それに直接関係しない仕事は省き,画像情報をより多く得るための努力をする意識をもってもらいます。フィルム・報告書の集配,物品管理・台帳記入などは資格者でなくともできるので事務職に任せますが,事務職も単純労働の繰り返しでは労働意欲は低下し,仕事の合理化も進みません。そこで事務職では単純労働・手仕事の軽減を徹底的に図り,検査の予約管理を任せて患者さんに直に接してもらい,対人間の仕事として医療チームの一員であることを認識してもらうことが肝要です。

9.バランスシート
 放射線科は一体全体どの位の保険点数稼働があり,それを得るためにどの位お金を使っているのでしょう。俗に言うバランスシートはどうなっているのでしょうか。簡単に計算できるところは少ないと思います。しかし,これが計算でき,独立採算で運営できれば,新しい設備投資も具体的に提案できるようになります。(大田原日赤の場合のバランスシートは専門医会ニュースNo.115を参照してください。)
(中略)
 CT,MR,RI,放射線治療など各部門別のバランスシートを把握しておけば,買い換えの時期やどの位お金をかけられるかが分かりますし,採算がとれている部門であれば,予算がないときでもリースを組むことができます。バランスシートで赤字・黒字を云々するのではなく,まず,現状を把握することが大切です。院長や経営者から放射線科に関することで意見を求められたらこの数字を用いて意見を言うことです。数字を出すことによってあなたは自分の部門をちゃんと把握しているというふうにとられるでしょう。
 バランスシートを見て,検査件数が少なく保険点数稼働額も小さい割に技師の人員配置が多かったりする部門はその理由を調べ,合理化を図ります。例えば,RIで午前中にGaシンチ 1 件,午後に骨シンチ 1 件しかないのに技師を 1 日配置しておくというようなことで,これは明らかに予約スケジュールの組み方に問題があります。
 合理化を行い,それでも採算がとれない部門(例えば,放射線治療部門)は病院としての必要性をみんなで議論し,必要性があるならば,続けていくための原資をどこからあてるのかを決めておく必要があります(他人の上がりを掠ることになるのですから)。そしてそのような医療行為に対する保険点数の改正も訴えていかなくてはなりません。

10.終わり
 これが何かの役に立てば幸いです。今回,指定された原稿量より大幅に超過してしまいましたが,まだまだ,書きたいことが残っています。それはどこか学会や勉強会でお会いしたときにお酒をのみながらということにしたいと思います。 
 尚,当科は来期のスタッフとレジデントを募集しております。ご紹介,ご応募をお待ちしています。
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2012.1.12
論文
2011.4.19
staff
2011.4.19
診療実績
2011.2.5
求人情報
2010.3.17
外傷全身CT





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