後期研修プログラム
 
放射線科専門医をめざすレジデンシープログラム(後期研修)
 
専門医修練/研修施設
★日本医学放射線学会 専門医修練機関
★日本インターベンションラジオロジー学会 専門医修練施設
★日本超音波学医学会 専門医研修施設
 
内容
1年目画像診断基礎項目・消化管造影・超音波・CT/MRなど大田原赤十字病院
放射線科
2年目血管造影・IVR大田原赤十字病院
放射線科
3年目心臓・骨軟部岩手医科大学
放射線科
4年目神経放射線・MR東京都立荏原病院
放射線科
5年目
3ヶ月
放射線治療・RI東京慈恵会医科大学
放射線科
5年目
その後
専門医試験(8月末) 
★大田原赤十字病院後期研修医募集要項
★連絡先 : 部長 水沼仁孝 k.mizunuma@ohtawara-jrc.com


 
現在のレジデント紹介
 
森川 和彦
もりかわ かずひこ
経歴
  • 2009年3月 東京慈恵会医科大学 卒業
  • 2009年4月 東京都保健医療公社荏原病院初期研修医
  • 2011年4月 大田原赤十字病院放射線科後期研修医


 
OB紹介
 
最上 拓児
大田原赤十字病院での3年間
 私は平成5年卒業の放射線科医です。放射線科専門医、IVR指導医の取得も済み、血管造影・IVRについても後進の指導を行うような立場となっています。私が大田原赤十字病院放射線科に勤務したのは、平成7年の7月からちょうど3年間であり、この期間に画像診断や血管造影・IVRの基礎を学んだと思います。
 大田原赤十字病院放射線科の特徴の一つとして、夜間の緊急CTの読影にオンコールで呼ばれるシステムがあります。読影もまともにできない赴任当初はこれが非常に苦痛であり、ポケットベルの呼び出し音に恐怖を感じたものでした。しかし、ある程度緊急CTの読影や基本的な血管造影・IVRが行えるようになった後は、放射線科医が自分で診断し、自分で治療するというやりがいを感じるようになりました。初めて一人で行った夜間のPTGBDや腎外傷の塞栓術の症例については、その時の緊張感も含め、今でもはっきりと覚えています。このような経験が基礎となり、現在の血管造影・IVRに軸足をおきながら、画像診断を行う自分があるのだと思います(図1)。
 このホームページを見て、これから大田原赤十字病院放射線科での研修プログラムに参加を考えている先生方に、少しだけアドバイスさせて頂きたいと思います。部長の水沼先生は親分肌の非常に個性的な先生です。怒られることも多いでしょうし、飲み会も多いでしょう。しかしその程度のことにはめげず、多くのことを吸収して、様々なことを経験して頂けたらと思います。きっとこの研修プログラム終了時には他の病院では得られないような経験をし、自分なりの放射線科医としての像もみえてくると思います。

【 図1. MRIガイド下凍結治療におけるプローブ穿刺 】
東京慈恵会医科大学附属柏病院放射線科  最上 拓児


 
砂川 好光

大田原赤十字病院で研修して
 私が大田原赤十字病院に赴任したのは平成元年5月から平成3年6月の2年2ヵ月でした。
 大学病院での初期研修2年が終了し、後期研修が開始する時期でした。研修開始にあたり2ヵ所の選択がありましたが、大田原が実家(福島)に近いことと研修医時代に水沼部長にお世話になったこともあり、迷わずに大田原での研修を決められました。
 赴任した時の仕事内容は、研修医時代の放射線科と変わらず多岐にわたっていました。特にCT、血管造影が主に行われており、現在のように高速CTではなく、頭部10分、体幹部30分かかる装置でした。検査も朝から晩まで目一杯入っていて、しばらくしてから機器の更新、検査室と読衞室の移動があって、検査件数が更に増加しましたが、検査室に付きっきりとはいかず、自分の未熟さもあり分担するのではなく、午前中に水沼部長と一緒に血管造影室に入り、昼休みに午前中のCTをチェックし、また午後から血管造影室に入るという毎日でした。肝臓のTAEや地域柄でしょうかSAHが多く、毎週のように術前、術後の血管造影が入っていました。検査件数は不明ですが、相当数の血管造影を経験させてもらいました。まだまだ未熟で水沼部長にはかなり我慢強く見守って頂いたようです。研修後半には何とか一人前までなれたと思います。
 その当時よく部長からは、大田原の生活は"合宿生活だから"といわれていました。お互いに単身赴任でしたので、公私共に共同生活のようでした。そんな生活も終了して大学に戻る時には診断から離れて、現在では放射線治療を専門にしています。大田原赤十字病院での2年の経験があったからこそ診断の目をもって治療できるのだと思います。


 
氏田 万寿夫

私は卒後4年目にあたる1993年4月から約2年間を大田原赤十字病院放射線科で過ごしたが、専門医試験前の幅広い知識や技能を習得すべき時期に当地で修練できたのは幸運であった。当時の画像検査数は現在ほど多くなかったことも幸いしてか、1台の電動シャウカステンで全症例を指導医とともに吟味できたのは後にも先にも大田原時代だけである。それは、所見の見落としを防ぐだけではなく、個々の症例の議論を通じてレジデントを教示できるということであり、さらに、画像診断に対する責任は個人ではなく放射線科にあるということを意味する。大田原日赤の特色に外傷をはじめとする救急患者が多いことが挙げられるが、診断からIVRによる治療まで、都内の大学病院では遭遇することのない症例を数多く経験できたことも貴重な経験であった。また、臨床医との画像カンファレンスや読影室を頻回に訪ねてくる医師との会話を通して、画像診断やIVRの成果が常にフィードバックされる点も日常診療の醍醐味を与えてくれた。大田原を去って10年が経ち胸部画像診断を専門領域とする現在においても、臨床医との連携が画像診断に不可欠であるという指針は大田原時代に身につけることができた事の1つである。
2005年6月
東京慈恵会医科大学放射線医学講座  氏田万寿夫(1989年卒)


 
利安 隆史
経歴
  • 平成14年3月  香川大学 医学部卒業
  • 平成14年4月  香川労災病院 初期臨床研修医
  • 平成16年4月  大田原赤十字病院放射線科 後期レジデント
  • 平成18年4月  岩手医科大学放射線科 助手(後期レジデント)
  • 平成19年4月  癌研有明病院放射線治療科


 
菅原 俊祐
経歴
  • 平成15年3月 横浜市立大学 医学部卒業
  • 平成15年5月 東京都保健医療公社 荏原病院初期臨床研修医
  • 平成17年5月 大田原赤十字病院 放射線科 後期レジデント
  • 平成19年4月 岩手医科大学放射線科 後期レジデント
  • 平成20年4月 東京都保健医療公社 荏原病院


 
杉山 宗弘
経歴
  • 平成15年3月  群馬大学 医学部卒業
  • 平成15年4月  藤沢市民病院 初期臨床研修医
  • 平成17年4月  亀田総合病院 放射線科 後期レジデント
  • 平成18年4月  大田原赤十字病院 放射線科 後期レジデント


 
鈴木 智大
経歴
  • 平成16年3月  新潟大学 医学部卒業
  • 平成17年4月  新潟医歯学総合病院等、初期臨床研修医
  • 平成19年4月  大田原赤十字病院 放射線科 後期レジデント


 
苫米地 牧子
経歴
  • 平成14年3月  岩手医科大学医学部卒業
  • 平成14年4月  森岡赤十字病院初期研修医
  • 平成16年4月  岩手医科大学大学院博士課程入学
  • 平成18年8月  日本医学放射線学会放射線科認定医
  • 平成20年3月  岩手医科大学大学院終了
  • 平成20年4月  大田原赤十字病院 放射線科 後期レジデント


 
苅安 俊哉
経歴
  • 平成19年3月 杏林大学 医学部卒業
  • 平成19年4月 東京都保健医療公社 荏原病院初期臨床研修医
  • 平成21年4月 大田原赤十字病院 放射線科 後期レジデント


 
福田 大記
経歴
  • 平成18年3月 東京慈恵会医科大学 卒業
  • 平成18年4月 手稲渓仁会病院 初期研修医
  • 平成21年4月 手稲渓仁会病院 後期研修医
  • 平成22年4月 大田原赤十字病院 放射線科 後期研修医